高沢 1984年の東京バレエ団創立20周年。そこで上演する作品をベジャールさんにお願いしていたのでしたね。
市川 83年の秋に、やっとOKを出したベジャールさんが、「『仮名手本忠臣蔵』をやりたい、作曲は黛敏郎に頼みたい」と言われた。ベジャールさんは三島由紀夫が好きで、三島原作の黛さんのオペラ『金閣寺』を聴いていたのです。(東京バレエ団代表の)佐々木(忠次)さんは喜んですぐ黛さんに電話をかけてきた。ちょうどその時、僕は黛さんとスタジオで中島貞夫監督の「序の舞」という映画の音楽を録音している最中でした。黛さんに聞いたら、「ベジャールのバレエの作曲をしてほしい」という電話だったという。「"忠臣蔵"をバレエにするんだってさ」と。ええっ? 歌舞伎ならほかにもあるのに、よりによって男ばっかりの「忠臣蔵」かと(笑)。それが発端でした。
ベジャールから「全体の構成は任せる。好きなように書いてくれ」と任せられた黛敏郎。全十一段という長大な浄瑠璃台本を、原稿用紙一枚にも満たない程に短く抜粋し、物語をまとめあげたという。録音が開始されたのは、初演の前年、85年の秋。
市川 まずは義太夫を録音、その後オーケストラを録音しました。オケの録音にはベジャールさんも立ちあわれました。それをトラックダウンしてベジャールさんにお渡ししたのが12月の暮れ。
高沢 で、1月にリハーサルして、その後一度帰国されて、3月にまた来日された。ベジャールさんの振付はすごく速かったね。湯水のように出てくるし、変えるとなったらすぐ変えちゃう。衣裳もヌーノ・コルテ=レアルのデザイン画がありましたが、使ったり使わなかったりで、どんどん変えちゃう。
立川 稽古場で「こういうものが必要」と言われるのだけれど、それをどう使うのか、我々にはわからない(笑)。例えば、「ジャパニーズ・アルファベットを書いた幕が要る」、「振り被せて振り落とす薄い幕が要る。それには血を描け」という。が、それをどこでどんなふうにお使いになるのか、稽古場ではわからないんですよ。それでデザインを持っていくと、「こうではない」。いろはの幕の文字の書体、太さ、配置には凄く細かいダメ出しをされました。いろは四十七文字は、普通七文字刻みにし、一番下を「とがなくてしす(咎なくて死す)」と読ませますが、ここでは6文字刻みに組んでいる。すると、最後に一文字分の空白ができる。ベジャールさんは、わざとこうしたんだと思うのです。最後に空白を作って、「お前たちはあそこに何を書くのか」と言いたいのではないかと。
取材・文:加藤智子(フリーライター)