2024/06/05(水)Vol.495
2024/06/05(水) | |
2024年06月05日号 | |
オペラはなにがおもしろい 特集 |
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オペラ |
オペラを楽しみたい方のために、1回1作品をご紹介します。音楽評論家堀内修さんが選ぶ3つの扉から、オペラの世界へお進みください。
奇跡が起こる。毒を飲んだアンジェリカに天使の声が聞こえると、奇跡の時が始まる。「天国のオーケストラ」が「天国の行進曲」を導き、アンジェリカを、そして聴く者を神秘的な法悦で包み込む。ついに亡き子が姿を現し(上演によっては聖母に連れられている)、至福の瞬間が訪れる。『ラ・ボエーム』の第1幕で恋愛を真正面から描いたプッチーニは、ここで聖母の奇跡を実現させてしまった。
プッチーニは教会の楽長の家に生まれ、少年時代から教会音楽に親しんでいた。その背景がここで生きた。さらにドビュッシーなど当時の新しい響きに通じていたプッチーニは、生涯最後に完成させた悲劇オペラの、最後の場面にその成果を惜しみなく注いだ。ブルックナーも驚く壮麗な響きの中で、奇跡が実現する。しかもその奇跡は教会でなく、歌劇場の奇跡だ。ここでオペラはついに聖性と結びついた。信仰と無縁の者にも、奇跡の前で打ち震える特権が体験できるというもの。あえて罪を犯したアンジェリカが死とともに味わったわが子との再会という奇跡は、彼女のものだけではない。
伯母の公爵夫人が入ってきて、アンジェリカとの面会になる。ここから息づまる場面が始まる。公爵夫人は姪の修道女に遺産を受け取る権利を放棄させようとしている。アンジェリカは財産に関心はないが、ほかのことが知りたい。自分が産んだ子はいまどうしているのか? 公爵夫人は「まちがいを犯した」姪に関心はなく、さっさと用を済ませてしまいたい。アンジェリカは追いつめられる。穏やかなやりとりではなかった。だがついに、アンジェリカにとってつらい事実が告げられる。この時悲劇の結末が見える。アンジェリカは絶望の底に落ちた。ヴェルディ『椿姫』でも同じプッチーニの『蝶々夫人』でも、追いつめられた女の絶望の深さがオペラの悲劇の深さに直結している。ここでも追いつめられたアンジェリカは重大な決意をする。禁止された自害だ。すがるのはわが子を失い、再び見出した聖母マリアだけ。
公爵夫人が引き上げた後、子どもがすでに死んでいたと知って取り乱したアンジェリカが気を取り直し、静かに歌い出す。「母もなしに」と、アンジェリカは死んだわが子に歌いかける。お前は母のキスもなしに亡くなったのね。 天使になったお前に会えるのはいつなのか教えて。わが子への想いははっきりとこれから行おうとする行動へと向かっている。歌に曖昧なところはない。すでに決意は定まっている。信仰ある者にとって、当然修道女にとっても、自殺はいけない。でもこの歌を聴いて「いけませんよ」なんて言う者などいるはずがない。聖母への祈りはきっとかなえられるだろう。
〈三部作〉 | 『修道女アンジェリカ』は3つのオペラをまとめて上演する〈三部作〉の第2作として作られた。 |
1&3 | 〈三部作〉の第1作は『外套』で第3作は『ジャンニ・スキッキ』だ。 |
自信作 | プッチーニは『蝶々夫人』とともにこの作品に自信を持っていた。 |
失敗作 | 初演で『ジャンニ・スキッキ』は大成功するが『修道女アンジェリカ』は失敗する。 |
ばらばらで | プッチーニは3つのオペラをまとめて上演するよう主張したが、希望は聞き入れられず、分けて上演されるほうが多い。 |
少ない公演 | 『修道女アンジェリカ』は〈三部作〉の中で少ないだけではなく、プッチーニの中では特に上演の少ないオペラとなっている。 |
宗教劇 | 舞台は17世紀の修道院で、奇跡が起こる。これは一種の宗教劇だ。 |
劇的オペラ | 一方で劇的な展開を見せるドラマティックなオペラでもある。 |
上がる評価 | 人気がないことで知られていたが、最近は人気が上がっている。 |
修道院 | まちがいを犯した女は修道院に入れるのが当時の上流階級だった.....らしい。 |
静かな前半 | 公爵夫人登場までは静かな修道院の情景がくり広げられる。この前半も魅力的だ。 |
女声 | 幕切れの合唱以外すべて女声というのもこのオペラの大きな特徴となっている。 |
恋愛なし | 恋愛なしに子を産んだ聖母にならったせいか、アンジェリカの過去の恋愛はまったく触れられない。それどころかこのオペラにはプッチーニの作品としては例外的に、まったく恋愛の要素がない。 |
毒草 | アンジェリカは薬草に詳しく、育てている。当然毒草にも詳しい。 |
ザルツブルクの上演 | 2022年ザルツブルク音楽祭でグリゴリアンがアンジェリカを歌い、ウェルザー=メストが指揮してロイが演出した〈三部作〉は、『ジャンニ・スキッキ』と『外套』、そして『修道女アンジェリカ』の順で上演された。はっきりこのオペラの価値を高める上演になった。 |
監修:堀内修