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NEW2024/07/17(水)Vol.498

新「起承転々」 漂流篇 vol.88 日本の恥
2024/07/17(水)
2024年07月17日号
起承転々
連載

新「起承転々」 漂流篇 vol.88 日本の恥

日本の恥

 英国ロイヤル・オペラ日本公演をどうにか無事に終えることができた。公演そのものは観客の皆さまに喜んでいただけたと思うが、考えさせられることも多かった。アントニオ・パッパーノが22年間務めた音楽監督を日本での最終公演をもって退任することから、これまでとは違う雰囲気が漂っていた。後任のヤクブ・フルシャもたまたま日本のオーケストラを指揮するために東京に滞在していたことから、4度公演を観に来て、終演後楽屋でパッパーノをはじめ出演者、ロイヤル・オペラの関係者たちと親しく歓談していた。
 『トゥーランドット』は、同劇場が1986年の2度目の来日公演でも上演した40年前のプロダクションだが、今回もとても観客の受けがよかった。音楽をはじめ演出や舞台美術と、総合芸術としてのオペラの魅力を堪能してもらえたのではないか。『リゴレット』は私もロンドンで観ているが、音楽的には日本公演のほうが数倍よかったと思う。私の持論なのだが、オペラは歌手だと思われがちだが、指揮者の力によるところが大きい。特に名高い指揮者は歌手のキャスティングにもこだわる。今回のパッパーノの演奏にはあらためてそのことを思い知らされた。今回も来日直前になって、予定されていたトゥーランドット姫役の歌手が降板したが、代役の二人とも素晴らしかった。知名度のない歌手であっても、観客の皆さまがきちんと実力を評価してくれたことを嬉しく思った。
 演後、パッパーノのメッセージ動画を収録し当方の公式SNSに上げたので、ご覧になった人も多いのではないだろうか。パッパーノはメッセージの後半、東京文化会館の改修工事や神奈川県民ホールの改築工事にまで言及し、数年間は日本でオペラ引っ越し公演ができないことに対し、彼なりの意見を表明した。私がパッパーノをけしかけたのではないかと疑う人がいるかもしれないが、断じてそうではない。パッパーノが、オペラやバレエが本格的に上演できる劇場が、ある一定期間まったく東京になくなることを知り、自分の思いを日本の観客に伝えたいと自ら申し出たのだ。ご覧になっていない方は、ぜひ、メッセージ動画を見ていただきたいのだが、パッパーノはこう訴えている。
 「日本での招聘オペラは今後どうなってしまうのか。この伝統はヨーロッパと日本の双方の社会を喜びで豊かにしてきたのです。なのに私たちが舞台に立つための、その場所がなくなってしまうのです。東京文化会館や神奈川県民ホールでなくても、たとえ一時的なものだとしても"舞台"はなくてはなりません。私は皆さまに訴えかけているのです。決して、議論や論争を起こしたいのではありません。日本、音楽やオペラ、そして幾度もの訪日でお目にかかってきた観客の皆さまへの愛と義務の気持ちから声を上げているのです。日本だからこそ持っているものが失われてしまうかもしれない、と非常にショックを受けました」
 劇場不足の問題に関しては、私もこのコラムでたびたび取り上げてきたが、長期の空白ができることは舞台芸術の衰退を意味し、舞台に携わる者にとって致命的な打撃だ。今回の英国ロイヤル・オペラの日本ツアーには総支配人のアレックス・ベアードも同行していたので、劇場経営についても話を聞いた。とても有益だったが、今号では紙幅がないので別の機会に譲ることにする。ベアード氏から次回の日本ツアーの話を持ち出されたが、少なくとも2026年から3年間はオペラ引っ越し公演ができる劇場がなくなるから現実的に不可能で、この長期のブランクにより、引っ越し公演の伝統が途絶える懸念さえあると伝えた。ベアード氏は絶句し、長期間劇場がない空白状態をつくること自体、あってはならないという。ロイヤル・オペラハウスは2019年から改修工事に入っていて、劇場を閉めるわけにはいかないから、夜の11時から翌朝の7時まで工事を続けているという。最長で2030年までかかるらしい。海外の劇場関係者やアーティストたちとの間で、東京の劇場不足の話が出るたびに、私はいたたまれない気持ちになる。舞台芸術を軽視し、何も対策を立てず、この危機的な状況に陥らせた責任はどこにあるのか。国際的な見地からいって"日本の恥"だ。東京文化会館も深夜に工事するなどして、なんとか休館の期間を短縮できないものかと思う。同館の周辺は上野公園とJR上野駅で、住宅地ではないから工事の騒音が問題になるとは思えない。ロンドンのロイヤル・オペラハウスで現実にやられていることを東京文化会館でもできないものか。
 パッパーノ、ベアード両氏とも、東京のような1400万人を擁する大都市ならば、東京文化会館かそれ以上の規模の劇場がもう2つくらいあってもおかしくないという。私は機会あるごとに各方面に訴えているのだが、築地の市場跡地に劇場を造れないものか。新聞などの報道によれば、すでに再開発計画が動き出していて、敷地東側の水辺に近いエリアに約1200人収容の「シアターホール」を設けるとある。1200程度の客席を持つホールは都内にはいくつもある。NBSが毎年地元で開催している「めぐろバレエ祭り」の会場である、めぐろパーシモンホールが1200席だ。再開発によって築地市場跡地を国際交流拠点にするという構想のようだが、そこに建てる「シアターホール」が区民ホール並みでいいのか。絶対的に足りないのは東京文化会館に勝るとも劣らない、本格的なオペラやバレエが上演できる舞台機構を備えた、最低でも2000人から2500人収容できる劇場なのだ。
 私の願いはシンプルに2つ。1つは東京文化会館の改修工事の期間をさまざまな手段を講じて短縮し、休館期間をなんとか1年くらいに留めてほしい。2つ目は我々の次の世代のために、アジアで最高の劇場を建てることだ。お隣の国韓国でも釜山などいくつかの都市で専属団体を持つ劇場建設の計画が進んでいると聞く。この分野では日本はアジアの中で圧倒的な先進国だと思っていたが、いまや他の国に追いつかれ追い抜かれつつある。先日の都知事選の結果、現職の小池百合子氏の続投が決まったが、築地市場跡地は東京都の管轄なのだから、同跡地で予定されている「シアターホール」の構想を見直し、日本が世界に誇れるような劇場建設に向けて大胆に舵を切ってほしいのだ。小池都知事に英断をお願いしたい。

髙橋 典夫 NBS専務理事