モーリス・ベジャール Maurice Béjart

Photo:Marcel imsand

1927年1月1日、国際的に著名な哲学者ガストン・ベルジェを父として誕生。ダンサー、のちに振付家としてベジャールはパリで活動を開始、1954年にエトワール・バレエ団を設立、同団は1957年にバレエ・テアトル・ド・パリに発展する。1960年にベルギーに拠点を移し、20世紀バレエ団を設立。このカンパニーは27年後にローザンヌに移転し、ベジャール・バレエ・ローザンヌとなる。

エゴロワ夫人、ルーザンヌ夫人、レオ・スターツのもとでダンスの教育を受けクラシック・バレエを体得したベジャールは、まずヴィシー(1946年)でダンサーとしてのキャリアを開始し、ジャニーヌ・シャラ、ローラン・プティのもとで踊り、そしてロンドンのインターナショナル・バレエへ。クルベリ・バレエのスウェーデンツアーに参加し(1949年)、表現主義的な振付の可能性を見出す。初めてストラヴィンスキーの音楽と出会ったのも、スウェーデン映画の仕事を通してだった。

パリに戻ったベジャールは、批評家ジャン・ローランの支援を受け、ショパンの作品に熱心に取り組む。このときからダンサーのみならず振付家として歩み始める。1955年、『孤独な男のためのシンフォニー』(P.アンリとP.シェフェールの音楽による)をエトワール・バレエ団より発表し、既存のダンスに決別。独自の舞踊言語を操る術をもち『ハイ・ヴォルテージ』『プロメテウス』『3人のソナタ』(サルトルの戯曲『出口なし』に基づく)といった一連の作品を発表、高い評価を確立する。 

1959年、ベルギー王立モネ劇場ディレクターに就任したモーリス・ユイスマンの委嘱により、ベジャール作品の金字塔『春の祭典』を創作。20世紀バレエ団を設立し(1960年)、ベジャールを頂点とするこの国際的バレエ団は世界中を駆け巡る。『ボレロ』(1960年)、『現在のためのミサ』(1967年)、『火の鳥』(1970年)を発表。哲学者である父の影響で、ベジャールは世界各地の文化に興味を抱き、多種多様な文明の表現、および豊かな音楽レパートリーに強いこだわりを持つ。

ベジャールはダンス教育にも関心を持ち、ダンス学校ムードラをブリュッセル(1970年)、続いてダカール(1977年)に設立。そしてダンス学校に留まらない創作の場、ルードラをローザンヌに設立する(1992年)。ベジャールのカンパニー、20世紀バレエ団は、1987年に断絶することなくベジャール・バレエ・ローザンヌへと移行。“表現者の本質を見極めるため”1992年に、カンパニーは30人ほどのダンサーに縮小される。『ニーベルングの指環』、『中国の不思議な役人』、『バレエ・フォー・ライフ』、『シルクロード』、『少年王』、『リュミエール』、『東京ジェスチャー』、『魔笛』など、このカンパニーのために作られた作品は多数である。

ベジャールは、演劇作品、オペラ作品、映画作品に加えて、小説、回想記、日記、戯曲といった多数の著書も発表している。1974年にエラスムス賞を受賞し、日本より勲三等旭日中綬賞(1986年)、ベルギー王国より王冠勲章グラン・オフィシエ(1988年)、日本美術協会より世界文化賞(1993年)、稲盛財団より京都賞(1999年)を受ける。1994年、フランス学士院芸術アカデミー会員に選出。1995年12月4日、ヨハネ・パウロ2世の手からトゥギャザー・フォー・ピース・ファウンデーション賞を受賞。1996年12月3日よりローザンヌ市の名誉市民。2001年11月22日にはローラン・ペリエ「偉大なる世紀」賞を受賞している。

2002年8月、若いダンサーのための新バレエ団「カンパニーM」を設立し、新作『マザー・テレサと世界の子どもたち』を10月18日にローザンヌのボーリュー劇場で初演。2003年10月、フェリーニの死後10年にあたり、フェリーニへのオマージュ『チャオ・フェデリコ』を発表。同年10月31日、在スイス・フランス大使より芸術文化勲章コマンドゥールを受章。

2004年、カンパニー創立50周年に際し、カンパニーの若手ダンサーたちと共同で『祖父である術』を制作。2005年、12あまりのベジャールの最も有名なバレエ作品の抜粋を含んだ『愛、それはダンス』、続いて同年12月に国際製作による『ツァラトゥストラ、舞踊の歌』を発表。2006年、『ダンサーの人生《ズィグとピュスが語る》』初演。

2007年、1月1日、80歳の誕生日を迎える。同年11月22日、ローザンヌにて逝去。12月、最後の作品となった『80分間世界一周』が初演された。

ジル・ロマン Gil Roman

Photo:Amelie Blanc

2007 年12 月よりモーリス・ベジャール・バレエ団芸術監督。

モンテカルロのグレース王妃アカデミーでロゼラ・ハイタワー、ホセ・フェランなどの優れた教師に学んだのち、1979 年に20 世紀バレエ団に入団。『未来のためのミサ』で初めて主役を踊り注目され、『ディブク』初演ではハナン役を踊る。『ハムレット』『ニーベルングの指環』『Mr. C…』『中国の不思議な役人』『バレエ・フォー・ライフ』『外套』『ホアンとテレサ』(マリ=クロード・ピエトラガラと)、『二重の影の対話』『孤独な男のためのシンフォニー』『リュミエール』『鼓手の死』『レナール』『ヨカナーン』『ツァラトゥストラ、舞踊の歌』『ダンサーの人生《ズィグとピュスが語る》』など、次々と上演されるバレエを踊り、ダンサーとして、また演技者としての才能を示してきた。

2005 年には『ブレルとバルバラ』におけるジャック・ブレル役を踊り、イタリアのダンツァ&ダンツァ賞の年間最優秀ダンサー賞を授与。2006 年にはモナコ・ダンス・フォーラムにてニジンスキー賞を受賞。モーリス・ベジャールによる演劇 『A-6-Roc』、映画『俳優に関する逆説』では俳優としての才能を見せる。

『衣は僧を作らず』で振付家としての才能を開花。『ベラについての考察』『鯨のエコグラフィー』『カジノのエスプリ』『アリア』『シンコペ』、上海国際芸術祭で初演された『鳥のいる場所』、そして2013年には『アニマ・ブルース』を成功させている。これ以降、『トニーのための3つのダンス』『兄弟』『生まれたばかり』『即興曲…』、そしてBBLの30周年とモーリス・ベジャールの没後10年という2017年記念の年のオープニングとして2016年12月16日に初演された『テム・エ・ヴァリアシオン』を含めた5作品をBBLのレパートリーに加えた。

その作品における知性、物事に対する的確なまなざしは、ジル・ロマンが並外れた才能のアーティストであることの証である。