モーリス・ベジャール没後10年記念シリーズ3 ベジャールの「くるみ割り人形」全2幕

あふれるバレエ愛、新たな息吹とともに新時代へ！

　舞台は聖夜。小さなモミの木の側に少年ビムが座っている。母を亡くし、ひとりぼっちでクルミで遊んでいると、母の幻影が出てきてモミの木の横にプレゼントを置こうとする。そこからビムの母を求める夢の旅路が始まる。幼い日にバレエと出会ってひたすらレッスンに打ち込む姿。妹のクロード、猫のフェリックスそして父と過ごす心温まるひととき。ボーイスカウトの活動に夢中になった日々。やがてある朝、森の中で目覚めると大きな聖母像が出現する。そして、それが反転すると――。感動的な再会を果たして一緒に踊るビムと母の周りに光の天使や天使たち、ソリに乗って登場するマジック・キューピー（東京バレエ団の団長・飯田宗孝がバレエ団初演時にベジャールから新たに振付を受け、以来持ち役としており、今回も踊る）があらわれ、雪の降るなか二人を盛大に祝す。
　ビムは母のために数々の踊りを用意して楽しませる。「スペイン」「中国」「アラブ」「ソ連」は古典バレエの『くるみ割り人形』のディヴェルティスマン（余興の踊り）に倣っているが創意工夫が凝らされており見ものだ。また「パリ」ではシャンソンを用いて洒落たワルツが繰り広げられる。いっぽう「グラン・パ・ド・ドゥ」では、古典と同じイワーノフの優雅な振付が踊られる。めくるめく踊りの饗宴が終わると再び最初の場面へと戻る。やがて夢から覚めたビムのもとには……。

　ビムにはベジャールの少年期が投影されている。「思い出すなあ、クリスマス」というベジャール自身の声と映像による回想もあって、7歳のときに死別した母への思慕が全編を貫く。母との再会時に踊られるパ・ド・ドゥの甘美たるやこの上なく、涙なしには見られないだろう。そして厳格で包容力のある父は高名な哲学者であったベジャールの父ガストン・ベルジェを思わせる。本作に度々出てくるＭ...は父と偉大なる振付家マリウス・プティパさらに多大な影響を受けたというゲーテの戯曲「ファウスト」のメフィストなどが重層的に合体した存在なのだ。ベジャールの幼少期の極私的な家族関係が出発点にあり、ことに母との愛をたっぷり描いて心温まるが、ビムを強く導き大人へと育んだ“父なるもの”への尊敬や畏怖がＭ...との関係によって表され、少年の成長物語として昇華される。この厚みのある卓越した展開には「さすがはベジャール！」と感じ入るほかない。

Photos:Kiyonori Hasegawa

Photos:Kiyonori Hasegawa

　クラシック・バレエへのオマージュも随所から感じられる。物語は独創的だがチャイコフスキーの甘美で陶酔を誘う音楽と溶け合っているし、前記のビムが母親に見せるさまざまな踊りは古典版『くるみ割り人形』の本歌取りといった趣だ。Ｍ...が古典版で少女クララの夢先案内人たるドロッセルマイヤーの役割なのも明らかである。不世出の天才ベジャールの創造の根底には古典バレエへの敬愛があり、特に本作はバレエ愛にあふれているので、多くの方々の琴線に触れるに違いない。
5年ぶりの上演では、斎藤友佳理芸術監督のもと躍進目覚ましい新生・東京バレエ団が総力を結集してベジャールにしか創り得なかった『くるみ割り人形』を魅惑的に輝かせるだろう。新たなキャストを得て新鮮な息吹が吹きこまれるのも楽しみだ。ベジャールの魂が巨匠自ら“我が第二のカンパニー”と認めた東京バレエ団によって次代へと受け継がれていく場をしかと見届けたい。

（高橋森彦・舞踊評論家）